今朝は朝から雨が降っている。 しかもシトシトではなくバシャバシャと音を立てて降っている。 いつもの旅行だとカッパを着てあちこち回って歩いていたが、今回はゆっくりしとした時間を過ごしにきているので、午前中買い物ついでに少しだけ出かけることにした。
海は雨でモヤっとしていて見通しが悪いため、屋内で南の島のフルーツや花を見られる所に行った。
この後は、家族に手紙を書く。 今まで子供達からは何度も手紙をもらったが、返事を書いたこともないし私から手紙を送ることもなかった。そもそも私は学生時代国語の成績が5段階評価で『2』だったし、字が汚いので文章を書くのが嫌いだった。
そんな私が今回この場所で手紙を書こうとしてるのは、旦那と子供達それぞれにいつもは恥ずかしくて言えなかったりする事を全部素直に書いて伝えたいと思ったからだ。
東京でもかけるじゃん! と思うが、一人きりで過ごすこの場所で静かに私の心の中の声をシッカリ聞きながら書きたいと思う。
『私』 「そして病気の記録」続き
8月の末手術の前日に入院した。 入院した日はのんびりできるとばっかり思っていたが、私のところに様々なスタッフが訪れてきて、色々な説明を聞いたので割と忙しかった。 そしてスタッフの持っている書類に私の名前がフルネームと直腸がんと記載されているのを目にして、『あ〜 私大腸がんなんだ』としみじみと実感した。
夕ご飯はお粥などの消化の良いものだったが、この先数日食事ができないことを思うとこの一食がとてもありがたく美味しく感じた。
特に緊張いていたわけではないが、慣れないベットのせいかあまり眠れずに朝になった。 早朝に浣腸し、6時以降水分の摂取も禁止となった。 この後1時間ほどウトウトと眠った。
9時少し前弾性ストッキングを履いて特にオペ着に着替えることもなく家から持ってきた洋服のままオペ室に向かった。
手術室に入ると恐怖より先に好奇心が湧きあちこちをキョロキョロと見回してしていたが、あっという間に麻酔がかかり、次の瞬間「〇〇さーん」という声が聞こえて目を覚ましたら、手術は終わっていた。 この日はHCUに入った。 お腹の痛み、同じ体制での腰の痛み、フットポンプの動きや、繰り返し行われる血圧、酸素濃度、傷の状態のチェックなどで、グッスリ眠ることはできなかったがウトウトしたり目が覚めたりを繰り返し朝になった。
朝起床の時間になると、「今日は離床して元の病棟に戻りますと」言われた。 入院生活でこの日がとにかく一番きつかった。 HCUから戻るのにベットから起き上がると頭がクラクラとして、とりあえずは車椅子で病棟に戻った。 しばらくすると病院のレンタルのパジャマを着替えて欲しいと言われ、お腹の痛みと格闘しながら着替えた。 そして歩く練習をしたが血圧が低いわけでもないのに頭がグラグラでほんの少ししか歩けなかった。 この日面会に来てくれた旦那ともほとんど話はできなかった。
翌日予定より一日早く尿のくだが取れた。 この日からは1日ずつ痛みも和らぎ、日に日に元気になっていった。 そして入院してから十日後に退院した。 自宅に帰ってからの食事は旦那が1ヶ月程作ってくれた。 直腸を切除したため腸の機能が元に戻るまで数ヶ月間は食事に注意が必要だった。
手術から1ヶ月後外来受診の日、切除した大腸の詳しい検査結果を聞いた。 ステージは手術前と変わらず『I』だった。今後は数ヶ月おきの採血とCTの検査で良いと言われ本当に嬉しかったし、何より心からホッとした。
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